Note to Self

2021.1.16~ 日々の読書の記録。

【読書録】我々はどれだけステレオタイプの影響を受けているか―『ステレオタイプの科学』

早速備忘録として読書記録書いてみる。

最近読んで面白かったのは、「我々がいかにステレオタイプに左右されているか」社会心理学的な視点から書いたこの本。

あるアイデンティティを持っているがゆえに直面する弊害と、それをどうやって乗り越えていくべきかについて書かれている。 著者の幼少期の経験やどのように研究を進めていったか、具体的な研究内容を踏まえて時系列順に書かれているので、文章も平易で非常に読みやすい。背景知識なくても読める。

🔑キーワード

この本に出てくる重要な概念は大きく2つ。アイデンティティ付随条件」ステレオタイプ脅威」

アイデンティティ付随条件とは

ある状況下で、特定の社会的アイデンティティを持つがゆえに(年寄りだから、若いから、同性愛者だから、白人だから、男性だから、女性だから、黒人だから、ヒスパニック系だから、政治的保守派あるいはリベラルだから、双極性障害と診断されたから、癌患者だから、など)、対処しなければならない物事のことをいう。(p18)

ステレオタイプ脅威とは

周囲からステレオタイプに基づく目で見られることを恐れ、その恐れに気を取られるうちに、実際にパフォーマンスが低下し、恐れていた通りのステレオタイプをむしろ確証してしまうという現象。(p3)
 
間主観性(主観は単独の自我だけではなく、他者の認識ももとに成り立つものだという考え方)という人間の認識から生まれる。(p20)
 
自分がそのステレオタイプに当てはまる可能性がある時、少しでも間違ったことをすれば自分もその一員とみなされ、それに沿った見方や扱われ方をされかねないと言う不安。これがアイデンティティ付随条件の一つ、ステレオタイプ脅威だ。(p22)

 

💡書いてあることと考えたこと

何が個人にとって主要なアイデンティティとなり、それがどう作用するか

興味深いのは、仮に周りの人に偏見とか差別がなかったとしても、「本人が周りからどう思われるか」を気にするだけで、その脅威にさらされる可能性があるということ。それだけ刷り込みが深刻であることを示している。

アイデンティティによる脅威は漠然としている。…双極性障害の学生は、人々がこの病気についてどう思っているか示すサインは無いかと、人と関わるときは常に神経をとがらせている。
漠然とした脅威は、そのアイデンティティを持つ人の心をいっぱいにする。明確にしなければならなかったポイントはここだ。…アイデンティティによる脅威は、漠然としていて多義的かもしれないが、その人の思考を独占するほど強力であり、少なくともその脅威が存続する間、その人が持つ他のアイデンティティ(性別、人種、宗教、若さ、スタンフォードの卒業生であることなど)を凌駕するほど圧倒的な威力があった。(p97-98)
そして
あるアイデンティティを持っているという気づきは、ある特性を持つがゆえに、重要なアイデンティティ付随条件(通常は、あなたが所属する単なる集団に対するネガティブなステレオタイプ、何らかの隔離、差別、偏見といった、脅威または制約を与える付随条件)に対処しなければならないことから生じる。「特性」を「アイデンティティ」に進化させるのは、その特性に伴う付随条件(たいてい脅威を与える付随条件)なのだ。(p100)
セクシュアリティに関しては自分も日々この作業やってるわ…という感じ。相手がどんな考え方持ってるのか、常に気を張って観察し、距離の取り方を考える作業はそれなりに体力も脳のキャパシティも使うから、それがない環境の方がパフォーマンス上がるのは当然。
 
 
ステレオタイプ脅威を縮小するには(第8~9章)
対処法についてもいくつか取り上げている。
  • 環境への信頼性を上げる
ステレオタイプ脅威は、環境に存在する際によって引き起こされるから、こうしたサインをできるだけ取り除くこと。ネガティブなステレオタイプを想起させるサインがないか目を光らせ、見つけたらそれを変える。
でも、全てのサインを取り除く必要はない。(そもそも不可能)
ある環境をアイデンティティ的に安全な場所に変えるには、脅威のサインを全て取り除く必要は無い。いくつかの極めて重要なサインを決定的に安全なレベルに引き下げれば、それ以外のサインの脅威レベルも低下する。(p190)
  • ナラティブを変更する
ステレオタイプ脅威に直面している人に、その状況についてより正確で、希望に満ちたナラティブを構築する情報を与える。
例えば黒人学生が様々なサインによって人種問題に敏感になっているために、黒人学生が大学における経験を解釈する時、実際以上に人種が大きな役割を果たしているように感じる。白人学生との交流が白人学生も自分と同じような問題を抱えているという気づきにつながり、黒人学生のナラティブが変わる。自分の経験をさほど人種的アイデンティティ中心に解釈しなくなり、大学の環境に対する信頼が高まる。警戒心が解かれ学業に大きなエネルギーやモチベーションを傾けられることで成績が改善する(p215-216)

 

「人種問題に鈍感」とみなされる脅威

同時にこの本は一般的に人種的に特権を持つとみられる「白人」が直面するステレオタイプ脅威についてもとても分かりやすく紹介している。「白人は人種差別的」というステレオタイプを追認されることを恐れて、黒人学生がマジョリティとなる「アフリカ系アメリカ人政治学」の授業では白人学生が肩身を狭い思いをしたり、発言しづらくなったりする例が挙げられている。

これってたぶんセクハラだとかLGBTだとかの問題に触れたくないマジョリティ側の心理と同じ構図だな。それまでその問題について深く考えずに生きてこられた人たち(アイデンティティ脅威にさらされずに来た人たち)が、急に報道を始めとして潮目が変わっていくことについていけない。とりあえず距離を置いておこう、、的な。
 
この本によれば、こういう場合は、「○○についての話は、緊迫したものになるのが当然であり、誰にとっても難しいものだ。だからこの会話を『学びの機会』と考えるべきだ」と説明することでステレオタイプ脅威が緩和されるらしい。
集団間の偏見は依然として世界中で集団による隔離を引き起こしており、異なる集団の人との交流を学習の機会と考えると教えるだけでは、こうした偏見のすべてを治癒することはできないだろう。この問題に確実な特効薬は存在しない。
それでも…「学習の機会とする」という考え方は助けになるかもしれない。学習することが目標であるなら、不適切な発言を失言ではなくなり、人種差別意識がある証拠ではなくなる。(p265)
 
「そんな言い方をしているから聞いてもらえないんだ」というようなトーンポリシングには反対だけれど、学ぼうとしている姿勢のある人に対しては「そんなことも知らないの?」みたいな姿勢ではなくて、心理的安全性を確保することがいかに重要なのかをこの本を読んで実感した。

あとはやっぱり自分が特権を持っているということに気付くのが第一歩だよな…。いくら学びの機会だといっても聞かない人は聞かないし。「知らずに生きてこられた自分」「特権を持っている自分」という存在を認められるかどうか。自分もノンバイナリーであるという点に関してはマイノリティだけれど、大学を出て、正社員として働けていて、家族との関係も悪くないとか、多くの点に関しては特権を持っている。

アンコンシャス・バイアスとか、マイクロ・アグレッションあたりにも関心があるので、その辺ちゃんと勉強したいなぁ。